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たまには哲学者のように

今週も『中国法務の扉』へのご訪問、ありがとうございます。名古屋の弁護士岡部真記です。

 

先週は船便100箱届いた騒動からスタートし、その後もイレギュラー案件が多く、朝から夜中まで駆け抜けた一週間でした。金曜日の更新ができず無念でしたが、「健康第一」、「免疫力アップ」ということで寝ました。

 

さて先週は、私が毎年大切にしている<1月17日>があったのですが、思いをめぐらせたり、物思いにふけったりする時間を持てませんでした。

 

ということで今日は中国法務についてはさておき(すみません)、私の原体験(?)を少しだけ書くことにします。

 

皆さん、十代の経験で、大人になるまでずっと自分の核になっていること(思想にダイレクトに影響を与えている経験)ってありますか?

 

ひとつ挙げるとすれば、私は117日の阪神淡路大震災です(何回も言っている)。人生で最も多感な時期だった私は、本当に毎日いろいろなことを考えていました(当時は神戸に住み、阪神間にある中学校に通っていました)。


今思えばあの時期から大学生までが一番<哲学者>でしたね。

 

考えたテーマは色々あります。

・なぜ同じ条件で生きる人と死ぬ人がいるのか。

・幸せはなぜ平等に与えられていないのか。

・因果応報とはなにか。

・使命はあるのか。それは何か。

・なぜモノは壊れるのか。

・「偽善」とは何か。

・復興とは何か。経済とは何か。

・察するとは何か。優しさとはなにか。

 ・なぜ報道は「数字」なのか(死者数をカウントすることにとても違和感がありました)

  

 などなど。

 

答えが出ているもの、出ていないもの、色々ですが、コロナ禍の今、改めて思うところがあります。


あの頃から26年、私たちの社会は成熟したのか、していないのか。私自身はどうか?

 

大学生になって手記を書いたのですが、災害の伝承を研究テーマとされている先生の紀要論文に引用されていることを最近知りました。まさか論文に登場していたとは…(照!)。

 

文章にまとめた瞬間から<哲学者>ではなくなってしまった感じがあるのですが、たまには、答えのないことを延々と考えてみるのもよいですよね。


皆さんも「答えらしきもの」が分かったら是非教えてください。法律の議論も大好きですが、こんな議論も私は大好きです。  

 

 

 たくさんの人とのご縁に感謝しつつ。

  来週もまた元気にお会いしましょう!!